自然から癒しを得る
あと3ヶ月弱で三十路になりますが、最近は専ら草木や空や風などの自然に癒しを求めているのに気付きました。
自分らで耕した畑で、小松菜をはじめ10数種類の野菜たちが元気に育ってきてます。
作業は仕事が休みの土日がメイン。
家族で草取りから畝作りまで一緒に作業しています。
鹿児島は、すでに日中20℃を超す日も多くて、外にいるだけでも暑い、、、でも農作業を頑張った後に空の下で食べるごはん(母作)は何よりも美味い。
そして土を触ってると、こんなふうに地球の恵みをもらって生きていたいなどと思います。
畑を始めてから、テレビやスマホを見る時間が格段に減りました。
昔の人は、農作業をして、お腹が空いたらごはんを食べて、夜はぐっすり眠る生活をしてたのかな。
家族の時間が増えるし健康的だし、何より土いじりが楽しくて、今のところ畑が大好きです。
命の大事さ
こんばんは。
がんになってから、命の大事さをひしひしと感じる日々です。
生きてるって本当に奇跡的なことです。
仕事でイライラすることもあるけど、そんなの人生規模で考えたら小さすぎて、いっぱい溢れてくる家族への感謝の気持ちに押し潰されて、もはやありがとうしか出てきません。
病気になって何が悲しいって、私の周りの家族が悲しむこと、そして悲しい気持ちを隠して笑顔で接してくれることです。
どうか世の中から病気が無くなりますように。
おやすみなさい。
甲状腺乳頭癌とは
こんにちは。
さっそくですが今日は、わたしがかかった病気について書いてみたいと思います。
先生から電話を受けた2日後、わたしたちは家族で来院し、検査結果について詳しい話を聞きました。
先生は、穏やかな口調で伝えてくれました。
病名は、甲状腺乳頭癌。
ステージ1で、いわゆる早期発見でした。
たったの直径4.5mmの悪性腫瘍で、エコーでも見落とすぐらいのサイズということでした。
(術後の病理検査でわかったことですが、リンパ節への転移もありませんでした。)
そもそも甲状腺とは、蝶が羽根を広げたような形の小さな臓器で、喉仏の下あたりにあります。
自分から向かって右側の羽根を右葉、左側を左葉と呼ぶみたいですが、わたしの場合、悪性腫瘍は右葉だけにあることがわかりました。
癌と聞くと、余命はどうなるのかな…辛くて長い治療が始まるのかな…髪の毛が抜けていくのかな…などとイメージが先走ってしまいますが、数多くある癌の中でも、甲状腺乳頭癌はある意味で「癌らしくない癌」と言われているようです。
というのも、若いほど進行が遅く、非常に予後が良いというのです。
むしろ癌と気付かないまま生涯を終える方も少なくないそう。
なので、周囲の方から「早く見つかってよかったね」と声をかけてもらうこともありましたが、必ずしもそうとは言い切れないのかな、と思うこともありました。
ただし、甲状腺の癌には数種類あり、乳頭癌以外の癌もいくつかあります。
その中には、進行が早いものもあるため、予後が良いと一概には言えません。
予後が良いといわれる乳頭癌だとしても、腫瘍の大きさや位置、リンパへの転移等によっては緊急で手術が必要な場合があるそうですが、わたしの場合は、急いで手術しなくても良さそうでした。
ここまでの話は、先生から聞いたものと、自分や家族があれこれ調べてわかったものが混ざった情報です。
今まで病気と無縁だったわたしや家族は、それはもう必死であれこれ調べました。
検査結果をきいた日のこと
こんにちは。
今日は、わたしが検査結果を初めてきいたときのことを書いてみたいと思います。
その前に、前回の検査で針を刺した部分は、しばらくは内出血?してアザみたいになっていました。
職場で、首どうしたの?!?!
と心配されることもありました。
アザは2〜3週間で自然に治りました。
さて、検査からちょうど2週間後、クリニックからの着信がありました。
仕事帰りに軽〜い気持ちで折り返し電話をかけました。
すると受付スタッフの方が出られ、先生にかわってくれました。
わたしは先生の最初の声色で、直感的に何かあった感じだな…?と思いました。
「大したことはないんですけどね〜、腫瘍4つのうち、1つが悪いのでした。まぁ治療法とか色々あるんで、一度ご家族も一緒に来院してもらえませんか」
わ る い の とは…?!
そう思いましたが、このときはバスに乗り遅れたくなかったので、こちらからは何も聞かず「わかりました」と言って電話を切りました。
10月初めの頃でした。
バスの中、自分でもびっくりするほど冷静なテンションで、結果を夫と母にLINEで送りました。
家族の休みを確認し、2日後に来院の予約を取りました。
この夜、わたしは相変わらず冷静に、自分が入っている保険の保障内容をチェックしていました。
(保険の話も、追って記事にしたいと思います。)
きっかけは職場健診
こんにちは。
手術から約4週間が過ぎた今日この頃ですが、首元の腫れが引かないまま、依然休職中です。
発熱など諸症状はないものの、未だにリンパ液が漏れ出ている関係で気管が圧迫され、ときどき息を吸う最後のほうが苦しくなることがあります。
医師によると、胸液(最大のリンパ管)から液が漏れ続けているとのこと。
元の状態に戻るには、まだしばらく時間がかかりそうです。
さて、今日はわたしの甲状腺がんが見つかった経緯について書いていきます。
きっかけは、毎年の受診が義務付けられている健康診断(職場から費用補助が出ます)でした。
身長、体重、視力、聴力、血液検査等の、ごく一般的な検診プランを受診しましたが、医師の問診の中で首の異常を言われました。
問診室をノックして入室した瞬間、女性の医師が「あれ?首の右側が大きいね」と言いながら私の首の前面を触り始めました。
自覚症状は何もないし、鏡を見ながら説明してもらっても、どこが大きいのか自分ではまったくわかりませんでした。
ですがその先生は、「もしものために、急がなくて良いから専門医で検査してください、紹介状を書いておきますね」と前のめりな姿勢でした。
というのも、これまでに先生が紹介状を出した3人のうち、1人の方が癌だったそう。
家族歴もないし、まさかね〜と思いながらも、安心のために専門医を探して、その日のうちに受診することにしました。
「甲状腺 鹿児島」で検索して出てきたクリニックに電話予約をし、たまたま休みだった夫に同行してもらい来院しました。
検査内容は、
・血液検査(主に甲状腺分野の項目)
・頸部エコー
・穿刺吸引細胞診
でした。
来院して受付で紹介状を渡すと、すぐに採血室に入りました。
このクリニックでは、採血結果が30分後に出るので、待っている間にエコーと細胞診をしました。
穿刺吸引細胞診とは、首に針(やや太め。献血の針と同じぐらいかな?)を刺して、調べたい腫瘍の一部を採取して検査に出すというものです。
私は、乳腺の細胞診は経験がありますが、甲状腺の細胞診は初めてでした。
く、首に針を刺すの…?!と恐怖でいっぱいでした。
エコー室のリクライニングチェアに座り、顔を天井に向けた状態で、医師がエコーをあてながらリアルタイムで画像を見つつ、当該箇所に針を刺します。
「少し痛いですよ〜」と言いながらこちらが覚悟を決める暇もなくブスッと刺されました。
おや、、意外といける…!?と思いながらも、やっぱり首だから痛いし、予防接種みたいに一瞬で終わるわけじゃないので、両手にギュッと力を入れて耐えました。
麻酔しない時点で、それほどの痛みではないんでしょうけども。
針を刺している間、隣についてた看護師さんが私の肩に手を置いててくれました。
細胞診自体は、5分間ぐらいだったかと思います。
針を刺したところに、看護師さんがシールを貼ってくれました。
細胞診の検査結果は2週間後です。
血液検査の結果も出ましたが、基本的に良好でした。
若干、橋本病の気配があるそうですが、薬や治療は必要なく、大したことはありません。
問題は、検査に回す細胞のほうです。
エコーの時、検査技師さんが「まぁ大丈夫だと思いますよ〜」と言っていたし、どうせ良性で経過観察になるだろうと思っていました。
ただ、もし癌だったら…?という思いが頭の片隅に残っていて、帰りの車内で甲状腺の癌について検索しまくったのを覚えています。
正直、死ぬのか…?という怖さよりも、妊娠できなくなるのか…??という思い込みのほうが先行して、頭の中で渦巻いていました。
結婚3年目で、そろそろ子どもが欲しいと思い始めていた時期でした。
まあ、結果は待つしかありません。
2022年の振り返り
こんにちは。
年末が近くなると、自分の中でこの1年を振り返りたくなります。
ちっちゃい頃みたいに、年越しが一大イベントじゃなくなった今は、1年間の出来事を振り返ることで、年を越した(越すのだ)という実感を得ています。
特に、休職中はとにかく時間があるので、いろんなことを考えます。
2022年下半期は、突然の癌宣告から入院・手術を経て療養中という、私の未来予想図にはまったく描かれていなかった展開となり、最近ようやく思考が現実に追いついてきたところです。
(病気のことや、手術のこと、術後の生活(術後の話の方が盛りだくさん)などについては、おいおい記事にしていきたいと思います。)
頭ではわかっていたつもりでしたが、本当に人生いろいろです。
当たり前ですが、何が起こるかわからないスリルを噛み締めながら人間やってます。
そしてあり得ないくらい周りに迷惑かけてます。
むしろ迷惑かけてるんだという感覚が生きてる感覚になってるというか、確実に人生観が変わりました。
苦しい思いをした代償に、たぶん体験した人にしか分からない感情を手に入れました。
いやいや言いながらも社会に出て働けること、何も考えずモリモリ食べられること、管に繋がれず自由に動けること、お家であったかい布団に寝られること、当たり前じゃないです。
また、自分はいろんな人々の助けを受けて生きてるんだと実感した年でもありました。
ぜひ家族や大切な人たちには、定期的な検診と、何でもない日常を大事にしてほしいなと思いました。
入院先の病院にて、クセ強めの表記を見つけました。